独善でないことの証明

どんなひとが苦手か、といわれると、「独善的な人間」が苦手です。

独善的な人間というのは、「他者の考えを考慮する」という程度の思考すら停止してしまい、さらに、その愚かさを理性と論理のもとに指摘したとしても、持ち前の独善さをもって受け入れません。
空しき負のスパイラルに巻き込まれるのが目にみえています。

さて、もちろんそういうぼくは、自分自身を独善的な人間ではないと思っていますが、ある日、奥さんと喫煙の是非を話し合ったときにこんなやりとりがあったので少し自信を無くしてしまいました。

奥さん「とにかくたばこは百害あって一利なし。わたしとこどものことを思うならやめて(怒)」
ぼく「(石田純一ばりに)たばこは文化だよ(といったかは定かではありませんが)」
奥さん「ヽ(`Д´#)<(否定否定否定否定)!!」
ぼく「独善的になりすぎてない?」
奥さん「(たばこを肯定する立場において)独善はあなたでしょ」
ぼく「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

そうです。
独善的であることを嫌うぼくは 「ぼくは独善的でない」という命題に対してすら(独善的になるのをおそれて)肯定することができなかったのです。

ま、こう「独善じゃないことを声高にいいたいけど、それをいっちゃうと独善になっちゃうよ」っていう感じが、なんか「昼間には外に出れない心優しいバケモノ」みたいな、あるいは「♪ ひとは 悲しみが 多い ほど ひとには やさしく できるのだから」みたいな感じががして嫌いじゃないです。

しかし、もし出来るのであれば「あなたは独善的です。改めなさい。わたし?わたしはこれこれこういう理由で独善的ではありません」 といえたら気持よさそうですよねー。
どういうシチュエーションでいうんでしょうね。
第三者としての立場なら絶対にそんな場に立ち会いたくないですよね。

そんなことを思い出し、ついさっき、深夜1時過ぎに「独善でない証明」とかでGoogle 先生に教えを乞うてみたのですが、なんか聞いたこともないアニメのBBS 過去ログにぶつかり、1800件もコメントがあってちょっと引いたり、Wikipedia 先生においては「独善」「独善的」の項目がなく、「そんなこと気にすんなよ、な?」と云われた(気になった)だけでした。

「独善でない」ってどういうことなんスかね?
自分の意見に自信を持てないのが「独善でない」ってことなんスかね?
ま、草食男子代表としてはそれでもいいっスよ。ここに書いてある文節すべての語尾に「と、思われます」っとか書いとけばいいんですよね。

というワケでこれ、今後の宿題。
誰か教えてくれてもいいですよー