2014年です。ブログって書くのも読むのもひとに説明するのが難しいですよね。

書く書く詐欺です。もういやだなぁ…

実家なうです。大晦日は22:30くらいに奥さんとこどもと布団に入り明けて0:40くらいに父と兄がいるこたつ部屋に降りてきました。
はい、仕事を去年から持ち越してまつ。

ところで本日は父と下の兄とご先祖様のお墓掃除をしました。
ちなみに兄は二人います、こたつ部屋にいる兄も下の兄です。ちなみにぼくは彼のことを中のお兄ちゃんと呼んでいます…

~ 閑話休題 ~

お墓は実家から300メートルほど離れた山の中にあります。
春には毎年、龍馬脱藩の道を歩き通すイベントが有り、そのコースの中に本日掃除した道も含まれています。

お墓が在る山はその昔、うちのみかん畑がそこかしこにあり、まぁしょっちゅう出入りしていたので実家にいた頃はそーーんな荒れ果ててる、ってイメージはありませんでした。
しかし、いまはみかんの木も減りお盆と年末に掃除のために立ち入るとき以外、ほぼほぼ掃除なんかしません。
枯れ葉は降り積もり、道は土が崩れ落ちこどもが歩くとなると結構なアドベンチャーです。

で、熊手をつかって枯れ葉と父が草刈機で処理した雑草たちをまとめていたわけです。
まとめた枯れ葉たちはいずこに…?はい、道の脇に捨てます。歩くところさえスッキリしていればそれでオーケーってことですね。

思ったことはこの作業、果てがないな、ってこと。
そもそも道の端は明確ではなく、道を構成する砂と小石たちも枯れ葉やらとの差が不明瞭です。
やろうと思えば一日中熊手をふってられる。掃き集めたものの中に小石が混じっていりゃそいつを選(よ)ってその辺にぽぉんと投げる。道が綺麗になったらすこし上の方から枯れ葉を集めてくる、あるいは道の境界をすこおし広げる。

よくも悪くも好きなように仕事をつくることが出来る。
なあんかこれ、よくわからないけどニッポン企業的だなぁ、って思いました。

別にディスるつもりはないです。でも、日本の四季が夏から冬の過程で枯れ葉を量産し、それを処理する必要にかられる環境の中からある特徴を持ったライフスタイルが醸造される、って理由を付けてみるのって面白いですよね。ね?

ぼくが文章を残したいな、っておもうのはそういう他愛もない脳みその働きが日々沸き起こって、その中に自分でもハッとするような思いつきがあったりするからです。
ブログはその点とっても手軽に始められるし、だれかに葉っぱを掛けられて続ける立場にもないのでこれからも続けたいな、とほぼ始まってもいねえよ状態の中で考えています。

むりやりなんとなく付けた本エントリーのタイトルに関連付けるとこれを理解してもらえるのは思っていたよりも難しいです。
自分自身もそこを他人に対して押し通すことが出来ないのでブログを書く、っていう時間割を設定できずにいます。

人が書いたブログはよく読んでます。いま進行形で僕を形作っているものの半分ぐらいはネット上にアーカイブされた文章たちですね。
この営みもまたひとに説明するのに言葉が思いつかない。
いつもiPhoneでなに見てるの?って聞かれて、ブログフィード読んでます… Gunosy見てます… Sylfeed見てます… 記事読んでます… って言ってもやっぱりピンと来ないですよね。
なんか適当な言葉ってないんでしょうか?

ひどい文章すみません。
さて、今年は書く書く詐欺脱却で。
昨年も各方面に迷惑をかけ通した「でもやるんだよぉ!」を今年も継続し、かたちにします。

あと、現象学の勉強したいなぁ… オブジェクト指向もいい加減理解できるようになりたい。

本年もよろしくお願い致します。